2018年8月15日水曜日

8/15

住んでた町内に部落があり小学校では同和教育も受けてた。その校風からか反戦の雰囲気も濃かった。図書室に唯一あるマンガ「はだしのゲン」を読んでリバースする、という通過儀礼もあったし、校外学習では「毒ガス島」として知られる大久野島や、広島に行って被爆者の方の話を聴いた。道徳の時間でも戦争を題材にしたものを学んだりした。(関係ないけど、中学にあがって集まった他の小学校の奴らがちょけて普通に差別用語言ったり人をけなしてるのを見て驚いた記憶がある)
じいちゃんが戦闘機乗りで、1945年の9月に特攻する予定だったという話を聞かされたことがある。戦争が終わるのがもうちょっと遅かったら僕はこの世にいないということになる。おばあちゃんは大阪の酒屋の娘として生まれ、こどものころに疎開で奈良に来たらしく、大阪大空襲のこととか喋ってくれる。沖縄戦や広島長崎のことがテレビで流れると「大阪もひどかったんやで〜」と言う。焼夷弾が花火みたいに綺麗だったことや、西九条?あたりに住んでたけど一面が焼け野原で鶴橋の方まで見えたこと、色々教えてくれた。今でも雷が鳴ると、空襲を思い出して少し怖いらしい。東吉野にある祖父母の家(超田舎)にも防空壕がある。おばあちゃんの話を深く掘り下げたいと思い、近所にあるピース大阪にも行ったりした。
戦争を体験した人に会ったり、その体験を直に聞いたことのある世代は僕らで終わる。上に書いたように俺はまだ戦争のことがリアルに感じれるけど、同世代でもそんなに意識ない人もいる。それが俺らの子の世代になったら、戦争の話はより現実味無くなるだろう。それが凄く怖い。
今の日本の政権は完全に右傾化してて(それ以前にかなりの馬鹿なんやけど)、戦争に対してリアルじゃない人たちがそのプロパガンダに乗っかってまた戦争が起こってしまう想像をよくする。すればするほどかつての太平洋戦争の始まりにダブってしまい、怖くなってやめる。宗教対立や土地の分断からの純粋な憎しみによって起こってる(ように見えるだけかもしれんけど)中東地域の戦争とは違い、かつての日本が起こした戦争は、単なる馬鹿の虚栄心から始まったように思うし、今の政権にもそれを感じる。SUGIZOも言ってたけど、世界唯一の被爆国である日本が核廃絶や戦争反対を意思表明することを1番許されてるはずなのに、なぜしないのか。
自分の親を殺されたら殺した相手を殺したくなるだろみたいな問い。はたまた、代理戦争(バーチャロンの限定戦争みたいな)、ドローン、ISISのようなネットによる世界的な傭兵参加の呼びかけとか、戦争のスタイルが先鋭化するにつれて起こる意義やイメージの不明瞭。経済代謝の一環としての戦争。会ったことの無い隣国の人達に対するリアルじゃない敵対心。
戦争にまとわりつくイメージが複雑に膨らんでいって、自分の肌で感じられなくなった時に、人は(国家は)戦争を始めるんやと思う。そんな時「人は人を殺したらあかん」ていう当たり前のことへ立ち返れるように。人が死ぬことは何があっても悲しいし、その死が別の人によるものなんてもっと悲しい。