2018年12月25日火曜日

2018

2018年のこと
・アンビエンス
今年はアンビエンスについて考えることが多かった。スネアに部屋鳴りの音を重ねたり、楽曲録音の際に環境音を取り入れる手法のことやけど、自分なりに拡大解釈したアンビについて考えてた。
そもそものきっかけは、数年前に小沢さんのライブ見に行った時、ドラムが本来キック踏むところにタムを重ねてて「変なビートやな〜」と思い、打ち上げで「あのビートなんですか」と聞いてみた。聞くと、サブベースを足すため、サブベースに憂いを感じるので曲に悲しみをもたせたい時にサブベースを入れるとのこと。俺もサブベースは好きやけどそこに感情を投影するまでではなく、音響に気持ちを乗せてもええんや!とすごく勇気づけられた。菊池成孔さんふうにいうと音響と音韻がないまぜになってる領域があってもええんか〜みたいな。そこから自分の頭の中にしこりのようにその思い出が残る。しかしこの時点では漠然とした音響に対する意識の変化だけでアンビ以前の段階やった。
自分の興味というか意識が明確にアンビに向かっていくきっかけは、去年末に王舟とイタリアで2週間くらい滞在して作った「Villa Tereze」。柴崎さんのインタビューでも語ってますが、自宅で一人で製作しても得られないような、環境と他人によってもたらされる楽曲の広がりや余裕が曲に宿れば嬉しいな〜というなんとなくの自分テーマをイタリア行く前に設けてた。けど蓋を開けてみれば自分のエゴなど微塵も発揮できないようなかなりストイックな環境で(詳しくはこの記事を)、その点では、想像の500倍くらいそのテーマは達成されたように思う。そもそもこの作品を出したNEWHEREというfelicityサブレーベルのテーマでもある音楽ジャンルとしての「アンビエント」にも通ずる話やけど、Villa Terezeが完成してから「自分のエゴが届かない場所で鳴る音」としてアンビエンスを認識するようになる。一般的には定位を広げたり他の音となじませる用途で使われる手法ですが、なんというか、自分ひとりの可能性を超えたところにタッチさせるために、みたいな…。
そういった認識を持った上で人の曲を聞いていくと、(特に国内のクラブミュージックにおいて)ソリッドな曲ばっかやな〜としんどく感じることが多くなった。イレギュラーな音が一切なく、作者の想いが100%劣化なく自分の耳に届く感じが。耳元で大声で「好きだ!」と直球で言われてる感じで、曲を聞く過程でリスナーの想像性のヘッドルームが無いようで。綺麗にサイドチェインかましてキックとベースとウワモノの分離もいいけどそれで?って感じ。頑張って音を洗練させたところで結局個人の境界線の解像度があがるだけでファンタジーは欠けていくだけなんじゃないかなと…。
逆にその目線でもってめちゃくちゃ聞けたものもあった。旧譜やけどjam city / dream a gardenneneh cherry / broken politicsCE$, Atosone ‎/ THEODORE LINUSなどなど…。Blood Orangeなんかモロそんな感じ。neneh cherryのはプロデュースしてるfour tetもそうなんやけど、Max D、Bullion、Oni ayhun、Vakula、など個人的に「ジャンル関係なしに一生聞いていくんやろな」な人たちに共通するアンビ部分を拡大視した趣があり非常に良かった。
そういった想いがあって、今年発売した「千紗子と純太 / 千紗子と純太と君」(こうてくれ!頼む!)は、普段自分である程度やり切ってしまうところを、ある程度エンジニアさんに任せてみた。自分じゃない場所から出る音=アンビを期待して。結果、やっぱり自分が100%やるより想像の余地がある音像になったと思う。プリミックス以降の段階からの話なんでめっちゃ微妙な差なんでしょうけど…俺は満足した。
エンジニアの西平さんともアンビに繋がるような話を製作中した。複雑でニュアンスが伝えにくいんやけど…、めっちゃ端折っていうと、例えば、ホールでグランドピアノ録ろうとしたけど手配できず、ガレージでアップライトの録音になってしまっても、その偶然からの必然性を信じてみよう、みたいな。普通の製作者目線やと本来の製作手順と大きく離れてるし、エンジニア的にも大きくミックスマスタリングの目測を修正しないといけなくなるからNGなんやろけど。イレギュラーか否かの二者択一ですべて采配していった結果の音響の向上はあれど、曲という単位はもっと大きなものを内包できると信じてもいい、みたいな…。なんせ音響も音韻もひっくるめた上でファンタジーになってもいいと、今更気づきました。

・動物的前期人間
今年テンコちゃんと作った「Animal's Pre-Human」という曲。安倍政権を批判する政治的立場ではまともなリベラルでもオフでは平気で嘘つくような奴いるし、承認欲求の延長でしか無いショボいクリエイティビティを補填するためだけに社会問題に口出しする奴いるし、結局人間ってどこかしら終わってるぞ!という俺の呪詛を込めました。ほんとに人間不信になってました。今は落ち着いてます。

・玉出
近所の玉出が意外と良いことに気づいた。鮮度はともかく丸々一匹の魚が豊富。今年はヅケにハマった。

・パスタ
年々おいしいパスタを作る腕が上がっていく。もう止められない。